映画『ブラックホーク・ダウン』レビュー

映画

こんにちは、こんばんは。

臘月堂、主人の南(@lowgetsudou)です🌙

今日は『ブラックホーク・ダウン』の話。

作品情報

ブラックホーク・ダウン

(原題:Black Hawk Down)

  • 製作:2001年/アメリカ/145分
  • 監督:リドリー・スコット
  • 出演:ジョシュ・ハートネット/ユアン・マクレガー/エリック・バナ/トム・ハーディ/エリック・バナ
  • 原作:マーク・ボウデン
  • 脚本:ケン・ノーラン
  • 撮影:スワヴォミール・イジャック
  • 編集:ピエトロ・スカリア
  • 音楽:ハンス・ジマー/リサ・ジェラード

予告編

レビュー

『オデッセイ』では孤独、真空、食糧難と。

『エイリアン』シリーズでは異形の怪物と。

『ハンニバル』では食人鬼と。

リドリー・スコット映画に登場する悪は

「既存の道徳や倫理がまったく通用しない」

という特徴を持つ。

また、上記の悪はフィクションを前提にした存在や概念だ。

それに対してノンフィクションに舞台を移した『ブラックホーク・ダウン』で扱われる悪は、

"戦闘状態"

という概念そのもの。

今作で描かれる悪は決してアイディード将軍麾下の民兵たちではない。

混沌を極めた戦闘状態そのものが悪であり、

「悪はあらかじめ用意された常識の範囲で規定されるものであってはならない」

という哲学を観客に見せつけるのがこの映画だ。

とりわけ敵と味方どちらの人物たちもパーソナリティが掘り下げられない点が、悪の手に負えなさを強調する上で重要なファクターと言える。

同じ髪型。同じ軍服。血と粉塵で見分けのつかなくなった兵たちの顔。

外見的にも内面的にも個性を剥奪され、規格化された人物たちの姿は『THX-1138』などのディストピアSFを思わせる。

「個人」ではなく、兵士という「記号」として次々に死んでいく彼らを眺めるうち、近代以降の文明社会が称揚する

「かけがえのない個人」

というお題目など、"戦闘状態"と言う巨悪の前では全くの無力だと考えざるを得なくなる。

まるで漫画『ベルセルク』で描かれる、残虐の限りを尽くしたイベント "蝕" を観ているような145分間。

そして他のリドリー・スコット作品同様、やはり主人公たちに勝利のカタルシスはもたらされない。

命からがら逃げおおせる事で何とか事態を切り抜けるがせいぜい、と言ったところ。

やはりこれも、監督の悪の哲学を特徴づける要素だ。

「悪は既存の道徳によって倒されてはならない」

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