こんにちは、こんばんは。
臘月堂、主人の南(@lowgetsudou)です🌙
今日は『ブレードランナー 2049』の話。
作品情報
ブレードランナー 2049
(原題:Blade Runner 2049)
- 製作:2017年/アメリカ/163分
- 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
- 出演:ハリソン・フォード/ライアン・ゴズリング/アナ・デ・アルマス/シルヴィア・フークス/ロビン・ライト/ジャレッド・レト
- 脚本:ハンプトン・ファンチャー/マイケル・グリーン
- 撮影:ロジャー・ディーキンス
- 編集:ジョー・ウォーカー
- 音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ/ハンス・ジマー
予告編
レビュー
『ブレードランナー』のレプリカントである今作をどう観るか?
その問いは作品への評価や好き嫌い以前に、受け手の価値基準をあぶり出すVKテストとしての意味合いを持つ。
物事を恣意的に区別すること、特に「オリジナルとコピー」という区別をつけること。
さらには、いわゆる"オリジナル"を価値基準の中心点に置いてしまうこと。
肯定的にせよ否定的にせよ、
「1作目と比べてどうこう」
その発想の立脚点を離れない限り、人間とレプリカントが身をもって示したテーマは無駄になってしまうのだ。
チワワを「チワワだから」という理由でいじめるブルドッグがいるだろうか?
「作り物だから」という理由でアイボをいじめるイヌがいるだろうか?
しかし
「人種・宗教が違うから」
「男だから女だから」
「若いから年寄りだから」
という理由で他者を冷遇する人間はそこら中にいて、
「しょせんはカバー曲だから原曲は越えられない」
などの"オリジナリティ"至上バイアスで価値判断を曇らせる人も後を絶たない。
両親のDNAをコピーして生まれた以上
「自分が誰かや何かのレプリカントじゃない」
と言い切れる人間なんか一人もいないはずだし、
やれ「人間だ、いや模造人間だ」、そんな外的な要因で人間の価値は決まらない。
今作のラストは
「人の価値は他者を利することで定まる」
という、『第七の封印』でアントニウスがたどり着いた真理と同じメッセージを提示しているように思えた。
もう一つ。
前作でルトガー・ハウアー扮するロイ・バッティが遺した言葉
「すべての思い出は時の中に消えてゆく。雨の中の涙のように」
諦念をたたえたこの遺言に対し、ドゥニ・ヴィルヌーヴは『メッセージ』で既にポジティブなアンサーを返していたのだと気付く。
「人の想いや行動は決して消えることはない。過去も現在も未来もなく、すべての時は繋がっているのだから」
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