映画『デッドマン・ウォーキング』レビュー

映画

こんにちは。臘月堂(@Lowgetsudou)です。

今日は『デッドマン・ウォーキング』の話。

作品情報

デッドマン・ウォーキング

(原題:Dead Man Walking)

  • 製作:1995年/アメリカ・イギリス/122分
  • 監督・脚本:ティム・ロビンス
  • 出演:スーザン・サランドン/ショーン・ペン/ロバート・プロスキー/レイモンド・J・バリー/R・リー・アーメイ
  • 原作:シスター・ヘレン・プレイジョーン
  • 撮影:ロジャー・ディーキンス
  • 編集:リサ・ゼノ・チャーギン
  • 音楽:ヴィッド・ロビンス

予告編

レビュー

David Bowieの"Dead Man Walking"という曲が好きだ。

この映画はタイトルが同じで気になって観た。

"デッドマン・ウォーキング"は死刑囚を死刑台に連れて行くときに看守が唱える言葉。

『グリーンマイル』の悪役の若造看守も死刑囚を引き連れて

「デッドマンウォーキング〜〜!」

と叫んでいた。

監督のティム・ロビンス自身は死刑制度に反対の立場を取る人だ。

しかし今作で死刑制度を語る上で、ポジショントークには陥っていない。

むしろ

「死刑制度についてあなたはどう思う?賛成?反対?」

「ひどい罪人でも悔い改めれば天国に行ける?」

「あなたがシスターヘレンなら、死刑囚と遺族たちと、どう付き合う?」

など、キリスト教の宗旨にまで踏み込んでいくつも疑問を提示する。

クリント・イーストウッドの『許されざる者』同様

「何が善で何が悪かを、明確に区別することは難しい」

「あなたならどう考える?」

と鑑賞者の思考を促す脚本に好感が持てる。

(ティム・ロビンスと今作で死刑囚を演じたショーン・ペンはイーストウッドの『ミスティック・リバー』で共演)

特に強調されるのは

「神の法か、人の法か」

という問いかけだ。

旧約聖書『申命記』、およびそれを引用した新約聖書『マタイによる福音書』に

「復讐するは我にあり」

という言葉がある。

「悪い人間を裁くのは私(神)の役目だから、人間が人間を裁こうなどとは、ゆめゆめ思わぬように」

という意味だ。

緒形拳が連続殺人鬼を演じた映画『復讐するは我にあり』で知った人も多いと思う。

「人間の分際で人間を裁いた者は神の怒りを買う」

その教訓は映画においても、ニコラス・ウィンディング・レフンの『オンリー・ゴッド』で、またはコーエン兄弟の『トゥルー・グリット』などで描かれてきた。

人間による人間への裁きを神が許さないというならば、死刑に関わる者の中で「許されざる者」は誰か?

死刑囚?

人を裁くという神の特権を勝手に行使した司法権?

それとも死刑を望んだ遺族たち?

ますますイーストウッド的な禅問答にハマっていく。

そもそも西欧文化圏における裁判の仕組み自体、人間が勝手に"アンダー・ザ・ゴッド"を僭称しているだけだ。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など「アブラハムの宗教」を背景にした文化圏に育っていない日本人には馴染みの薄い題材かも知れない。

だからこそ、他文化の価値観を理解するためにも格好の映画と言える。

劇中で、家族を殺された人物がこんなセリフを叫ぶ。

「死刑囚は人間じゃない!奴らは動物だ!だから奴を死刑で殺しても、神は罪と思うまい!」

これは不十分で、私は死刑囚に限らず「人間は動物だ」が真理だと思っている。

悲観的で卑屈になるわけではない。

罪とは何らかの形で他者を傷つけること。

罪を犯さないためには理性による抑制が必要。

しかし人間を人間たらしめる理性はもろく、感情に屈服しがちなもの。

感情に流されるのは動物だ。

犯罪者も善人も関係なく、人間である以上

「理性はいつ感情に負けてもおかしくなく、自分もまた動物と化す危険が常にある」

そういう謙虚な自己認識を持つことが第一歩かなと考えている。

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