映画『アイアムアヒーロー』レビュー

映画

作品情報

アイアムアヒーロー

  • 製作:2016年/日本/127分
  • 監督:佐藤信介
  • 出演:大泉洋/有村架純/吉沢悠/長澤まさみ/岡田義徳/塚地武雅/片桐仁
  • 原作:花沢健吾『アイアムアヒーロー』
  • 脚本:野木亜紀子
  • 撮影:河津太郎
  • 編集:今井剛
  • 音楽:ニマ・ファクララ

予告編

レビュー

こんにちは。臘月堂(@Lowgetsudou)です。

『アイアムアヒーロー』は

「負け犬だった男が自分の尊厳を守るための戦い」

つまりは『ロッキー』または同作者の『ボーイズオンザラン』であり、

「行使する者によって正義とも悪ともなり得る超人的な能力(今作においては猟銃)を制御し、"選ばれし者の義務"を果たすための戦い」

つまり『スパイダーマン』ひいては『ウォッチメン』などに直結するアメコミ英雄譚であり、

さらには

「日々のルーティンや社会の規範によって風化しそうな心の中の純粋性(ひろみちゃん)を守るための戦い」

つまりは『E.T』であり『真夜中のカーボーイ』でもある。

「ひろみちゃん」は「猟銃」と同様に、主人公が持つ超人的な能力の一つ。

行使者が意のままに扱えるか否か、

それが2つの兵器が持つ質の違いだ。

英雄くんの

・理性 = 猟銃
・感性 = ひろみちゃん

という説明で間違いない。

若さ、青さ、衝動といったものは本人の意志と無関係に覚醒したり眠ったりするもの。

主人公が抱く純粋性と攻撃性を同時に象徴する点において、

「ひろみちゃん」はロマン・ポランスキー『水の中のナイフ』で描いたナイフと同じ役割を果たしている。

これだけ複合的な主題を一作品でまとめあげる試みは困難だったはず。

しかし今作は。

それぞれのテーマを中途半端に陥らせることなく、

かつ説教臭くなく、

さらに娯楽として完成されている。

ヒーローをヒーローたらしめる決め手は、

本当に大事な場面で決してスーパーパワーに頼らず、普通の人と同じく勇気と行動力だけで決着をつける事にある。

だからこそ受け手はヒーローの行動を他人事でなく、当事者意識を持って受け取る事が出来るのだ。

図式的な方法論ながらもラストシーンにやっぱり胸が熱くなっちゃうのは、そのメッセージが持つ普遍性に寄与するところが大きい。

だが今作において最も重要なのは、

「ひろみちゃん」

が完全に無垢で純粋な存在としては描かれない事だ。

"何度も妄想を繰り広げては

しがない現実に引き戻される英雄くん"

序盤から何度も繰り返される演出である。

ヒーローである内的世界の自分と、

決して何者にもなれない外的世界の自分。

せめぎ合う二つの現状は、

半分ヒトであり半分ZQNでもある「ひろみちゃん」の姿にそのまま表されている。

しかし、彼の葛藤はとうとう最後に止揚された。

「自分は英雄になれたのか、落伍者のままなのか。正直よく分かりません」

「でもそれが自分ですし、それでいいのかも知れません」

だからこそ

「僕は、ただのヒデオです」

なのだろう。

英雄くんにとって大事なのは、ZQNを倒すことではなかった。

自分の中でわだかまり、矛盾し合う二面性を静かに受け入れた事こそが、英雄くんにとっての勝利だった。

自分もまた表現にたずさわる人間であると同時に、

ともすれば社会がお仕着せてくる常識に飲まれかける弱い人間の1人。

これからどうにもならない理不尽に挫けそうになった時は、

『バニシング・ポイント』のコワルスキーや

『暴力脱獄』のルークや

『スパルタカス』のスパルタカス達と一緒に、

英雄くんとひろみちゃんの事を思い出したい。

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