映画『ROMA ローマ』レビュー

映画

作品情報

ROMA/ローマ

(原題:ROMA)

  • 製作:2018年/アメリカ・メキシコ/135分
  • 監督・脚本・撮影・編集:アルフォンソ・キュアロン
  • 出演:ヤリッツァ・アパリシオ/マリーナ・デ・タビラ

予告編

レビュー

「世の中って、ねえ、人が思うほど、良いものでも、悪いものでもありませんわね」

- モーパッサン『女の一生』 -

こんにちは。臘月堂(@Lowgetsudou)です。

床掃除の水、
荒地の水たまり、
こぼれた酒、
破水、
トゥスパンの大海原。

「重力(グラビティ)で地面に張り付いた水」

の描写が、今作では冒頭から何度も繰り返される。

ギリシア・ローマ古典古代の昔から、人々が人間の尊厳を縛り付ける存在として扱ってきたのが重力だ。

しかし古代人たちは重力にあらがい、大地にドッシリ腰を据える建築様式を完成させた。

神殿建築の堂々たる柱(オーダー)に、二本足で地面に立つ自分たちを見立てることで、人々は人間讃歌を高らかに謳ってきたのだ。

『ROMA』では一人の女性が当時のメキシコの政情不安、身分差別、性差別などの「重力」に抑圧される姿が描かれる。

「無重力」に翻弄される人間を描いた『ゼロ・グラビティ』と、方法自体は対称的だ。

そして重力によって地面に叩きつけられる水は、今作においてどんな機能を果たしているか?

『サスペリア』などに顕著だが、水というモチーフは不吉な出来事の予兆として多く用いられる。

『ROMA』も同様で、地面に張り付いた水が映るたびに主人公クレオは悲劇に巻き込まれていく。

「覆水盆に返らず」という言葉通り(スペイン語圏にある表現ではないかも知れないが)、いったんこぼれた水は掬えないし、起きてしまった悲劇は元に戻せない。

作り手の感情や主観を排した写実主義的なカメラワークにも、「過去の事は変えられない」というキュアロン監督自身の諦念が込められている。

まず冒頭、床掃除の水を延々と映すことで「周囲の環境に流される人間についての物語である」と全体像を提示。

荒地の水たまりが映された後には男の身勝手さを見せつけ、

破水の様子が映された後には、、、。

こうして無意識下に「水 = 悲劇」の構図を刷り込まれた鑑賞者は、クライマックスで『真夏の死』を思わせるカタストロフを期待してしまう。

しかし。

徹底して「重力」に抑圧され「水」に流されてきたクレオが、最後の最後で人間の意地を見せつける。

「人間が弱いのは認めるよ。
でもな、そう簡単には負けねえぞ」

これなのだ。

キュアロン映画に通底するこのテーマが、きらめく波と眩しい太陽の中で炸裂する。

音楽はなく、聞こえるのは荒波の音だけ。

感情的な演出を一切排した演出だからこそ、人間の壊れにくさがリアルに胸に迫ってくる。

「全てはこの荒波のシーケンスの為にあったのだ」

とブルブル感動に打ち震えていたのだが、ラストシーンのカメラワークでさらに清々しい気分にさせられた。

セリフも音楽も一切なく、カメラの動きだけで、ここまで感動的な映像が作れるのか。

『ゼロ・グラビティ』の主人公は無重力と戦い、重力の世界に帰ってきた。

宇宙開発競争の最中であった1970年を舞台にした『ROMA』の主人公は、重力と戦い、無重力に近づいた。

私はこの作品を『ゼロ・グラビティ』のプリクエルとして観たい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました