映画『欲望という名の電車』レビュー

映画

こんにちは。臘月堂(@Lowgetsudou)です。

今日は『欲望という名の電車』の話。

作品情報

欲望という名の電車

(原題:A Streetcar Named Desire)

  • 製作:1951年/アメリカ/1951分
  • 監督:エリア・カザン
  • 出演:ヴィヴィアン・リー/マーロン・ブランド/キム・ハンター/カール・マルデン
  • 原作・脚本:テネシー・ウィリアムズ
  • 撮影:ハリー・ストラドリング
  • 音楽:アレックス・ノース

予告編

レビュー

人間の虚栄心を諷刺した物語は数あれど、

芥川龍之介『芋粥』ほど簡潔に、説教臭くなく、人間の本質を突いた物語は珍しい。

テネシー・ウィリアムズによる戯曲『欲望という名の電車』もまた『芋粥』のように、

「傍から見れば下らないものへの執着心に人生を支配される弱き人間」

を扱った普遍的な悲喜劇だ。

主題だけでなく形式も近い作品としては、過去の栄光と老後のギャップを受け入れられず精神崩壊する女優を描いた『サンセット大通り』『何がジェーンに起こったか?』

ウディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』

ウィリアムズと同世代のアーサー・ミラーによる『セールスマンの死』

トルストイ『イワン・イリッチの死』の役人

イングマル・ベルイマン『野いちご』の医学博士

バルザック『ゴリオ爺さん』のゴリオ爺さん

チャーリー・カウフマン『脳内ニューヨーク』の劇作家

などが挙げられる。

これらの作品で描かれるのは全て、「物質・名声・肩書などの虚飾に依存し過ぎた結果、それを失って初めて自分の人生の無意味さに気付いた人々」

「こういうモノや肩書きを持っていればステータスになるから」と俗世間の評価に流され、他の誰でもない自分にとって本当に大切な価値が何かを、真剣に考える事を怠ってきた人間たちの末路である。

今作で没落貴族のブランチを演じるのはヴィヴィアン・リー。

『哀愁』でのバレリーナから娼婦に身をやつし不幸に死んだ女の演技も素晴らしいが、今作でもブランチの痛々しさを十全に表現しきっており、迫真の演技を見せている。

自分もまた財産を失ったニートに過ぎないにも関わらず、狭いボロアパートに暮らす妹を見下す。

ポーランド系移民の労働者である妹婿に差別的な言葉を口走る。

きらびやかな過去の栄光を捏造しては男に嘘をつく。

人格の陶冶をサボり続けた人間の成れの果てを嫌と言うほど見せつけられ、観ているこっちまで胸が痛い。

(「ブランチという名を持ち人生に失敗した不幸な姉」と言えば『ブロードウェイ・メロディー』を思い出す)

主題の普遍性はさることながら、今作の見どころはヴィヴィアン・リーが見せる "狂った女" の演技にある。

魔女、ファム・ファタル、ラ・ベル・ダーム・サン・メルシなどと並び、 "狂女" もまた、昔から人を惹きつけてやまない女性像の一つだ。

日本だと八百屋お七や、能の演目『花筐』(上村松園が描いた花筐は本当にコワイ)

太宰治『斜陽』のかず子、

プーシキン『大尉の娘』におけるタチアナ、

映画であれば

『危険な情事』グレン・クローズ

『愛という名の疑惑』キム・ベイシンガー

『ミザリー』キャシー・ベイツ

『Gガール』ユマ・サーマンなどもこの範疇か。

また、見開かれた死者のまぶたを誰かがそっと閉じる描写は映像作品でよく見るが、今作はその逆をいく。

精神病院の職員が、現実をシャットアウトするように目を閉じたブランチのまぶたを、指で強引に開かせる。

こんな残酷な映画が他にあるだろうか。

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