映画『ドリーの冒険』レビュー

映画

作品情報

ドリーの冒険

(原題:The Adventures of Dollie)

  • 製作:1908年/アメリカ/12分
  • 監督:D・W・グリフィス

レビュー

こんにちは、こんばんは。

臘月堂、主人の南(@lowgetsudou)です🌙

誘拐された女の子が、危ない局面をくぐり抜けて家族の元へ戻るお話。

12分間の映像には

「平和 → 別離 → 危機 → 帰還」

という物語の型がきれいに収まっており、広い意味でのロードムービーと言える作りです。

どんなサービスにしろ、売り手は買い手よりも知識と技術を持つからこそ、顧客に価値を感じさせることができ、商売が成り立ちます。

「情報の非対称性」と呼ばれるものです。

今作では映画という価値の受け手が、

登場人物の知り得ない情報を知ることができ、それが緊張感を生んでいるのがポイント。

登場人物が危機に瀕しているのが分かるからこそ

「志村ー!うしろー!」

とスリルを楽しめるのですね。

『ドリーの冒険』においては大きく2点。

一つは、ドリーが悪いジプシーにより樽に閉じ込められ、助けに来たドリーの家族がジプシーに詰め寄るも発見できず立ち去る一連のシーン。

すべてが固定カメラ1ショットの中で起きる出来事です。

ここで受け手はドリーの家族の立場を汲んで

「ドリーは樽の中にいるよ!見つけてあげて!」

とヤキモキしたり、あるいはジプシーの気分で

「ヤバい、ドリーが見つかっちゃう!」

とハラハラさせられます。

もう一つは、樽に閉じ込められたまま急流を下るドリーを、ドリー側でなく滝つぼ側から捉えるショット。

私たちはこう思います。

「こっちは滝だぞ!ドリーが危ない。。!でも樽に入ってるからどうしようもない。。!くそう!」

危険な状況に対して文字通り手も足も出せないドリーと、

黙って画面を観ているしかない私たちの無力感は同質のもの。

登場人物と受け手が対等な関係でサスペンスに没入する仕組みです。

目隠しをした状態で急流下りをする『BIRD BOX』が最近話題ですが、

あのシーケンスの緊張感は具体的な舞台設定まで含めて『ドリーの冒険』とまったく同じですね。

「行って、帰る」

という型の発祥は『オデュッセイア』『セレンディップの3人の王子』など、

大昔の叙事詩や民間伝承にまでさかのぼれます。

例えば

『怒りのデスロード』も、
『LION』も、
『コールドマウンテン』も、
『ダージリン急行』も、
『127時間』も、

「行って、帰る」物語の型にサスペンスや成長や人間ドラマを盛り込んで作られたもの。

映像表現の分野に限って言うならば、これらはすべて『ドリーの冒険』の拡大再生産と言えるのかも知れません。

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