映画『ファング一家の奇想天外な秘密』レビュー

映画

こんにちは。臘月堂(@Lowgetsudou)です。

今日は『ファング一家の奇想天外な秘密』の話。

作品情報

ファング一家の奇想天外な秘密

(原題:The Family Fang)

  • 製作:2016年/アメリカ/107分
  • 監督:ジェイソン・ベイトマン
  • 出演:ニコール・キッドマン/ジェイソン・ベイトマン/クリストファー・ウォーケン/メアリーアン・プランケット/キャスリン・ハーン/ジェイソン・バトラー・ハーナー
  • 原作:ケヴィン・ウィルソン『The Family Fang』
  • 脚本:デヴィッド・リンジー=アベイア
  • 撮影:ケン・セング
  • 編集:ロバート・フレイゼン
  • 音楽:カーター・バーウェル

予告編

あらすじ

父、母、そして長女アニーと次男バクスターの4人からなるファング一家。

この両親には一風変わったライフワークがある。

銀行で狂言強盗を起こして居合わせた人々を面くらわせたり。

家族写真の撮影で4人とも口に含んだ血のりをダラダラ垂らしてカメラマンを唖然とさせたり。

スケートリンクで花火を爆発させたり。

そしてそれらの奇行や驚く人々をこっそり撮影する。

現在ユーチューバー達がこぞって動画にしているような活動を、この両親は若い頃から高齢になった今に至るまで、何十年も続けている。

控えめに言ってクレイジーすぎる夫婦だ。

しかし。

彼らにとってこの活動はれっきとした芸術であり、やってる本人、大真面目。

人を驚かせること以外に見返りを求めない純粋なアーティストだ。

娘アニーと息子バクスターも「子供A」「子供B」という役名を与えられ、両親の「芸術」に出演する子供時代を送った。

そして時は過ぎ。

アニーはかつて成功したものの、今は落ち目の映画女優。

再起をかけてトップレスを披露するも鳴かず飛ばずで、おまけに心の病気までわずらうという、お世辞にも順風満帆とは言えない現状。

バクスターもまた小説家として一応の成功を見たものの、現在はスランプに苦しんでおり、何年も作品を仕上げられないでいる。

ある日バクスターは取材のため、“ポテトガン” を開発してはぶっ放す遊びに興じる人々を訪れた。

そこで事故が起き、勢いよく発射されたポテト弾がバクスターの頭に命中。

療養も兼ねてバクスター、そして仕事のないアニーもまた久しぶりに実家に戻った。

暖かく迎えてくれた両親だったが、父親はこう切り出す。

「お前達が帰ってきたら私達の作品にまた出演してもらうつもりだったんだ」

「A、お前は女優歴20年だが、いまだに大した作品に出とらんな」

「お前の表現は生ゴミだ。とても芸術とは呼べん」

「AもBも、これからの人生は二人とも私の芸術を手伝え」

「芸術家に戻れるチャンスだぞ」

職人気質で気難し屋の父は二人の人生をコテンパンに貶す。

子供の頃は逆らわなかったアニーも、とうとう父に対して反抗。

彼らの作品にかつてのようなセンスが失われている事をぶちまける。

ケンカになりはしたものの、アニーは満足だった。

「もう私たちはAとBという作品の部品じゃなく、一人前の自立した人間だと主張できたわ」

「その事を、父さんと母さんにちゃんと理解してもらうのよ」

「そうすれば普通の家族になれるわ」

しかし。突然の警察の訪問。

アニーとバクスターはこう告げられる。

口論の後、2人だけで旅行に出かけた両親が、「空っぽの車だけを残して旅先で行方不明になった」というのだ。

警察は殺人事件に巻き込まれた可能性を見越して捜査を進めるが、アニーは疑念を抱く。

「これはきっと父さんと母さんが仕組んだ作品よ」

「失踪したふりをして私たちを驚かせようとしてるんだわ」

「思い通りにはさせないわ。邪魔をして、居場所を突き止めて、バカな『芸術』を辞めさせるの」

「そうしないと、私たちは普通の家族には戻れない。もう芸術の皮を被ったウソの ”家族” を演じたくないのよ」

アニーとバクスターは必死の捜索をし、少しずつ手がかりを見つけていく。

しかし、彼らを待ち受けていたのは予想外の過酷な現実だった。

レビュー

「身勝手な親によって機能不全に陥った家族の悲喜劇」

と聞けば、多くの人がウェス・アンダーソンノア・バームバックの作品を思い出すだろう。

とりわけ本作と『ロイヤル・テネンバウムズ』との近似性はよく指摘されていて、実際に原作者も「お気に入りの映画だ」と公言している。

「家族や周囲の人物を不幸にしてでも、自分が定めた道にひたすら突き進む、修羅の道を選んだ人物」

は物語で何度も描かれてきた。

『ファウスト』のファウスト博士、

『風立ちぬ』の堀越二郎、

『オール・ザット・ジャズ』のロイ・シャイダー、

『セッション』のマイルズ・テラー。

彼らは皆、芸術や創作という ”メフィストフェレス” に魂を売り渡した者達。

ファング家の中心人物である父ケイレブもまた、その典型の一人である。

これら作品の多くが「悪魔に魂を売った人物」を中心に描いた物語であるのに対し、本作は「魂を売った人物によって人生を狂わされた人物」が描かれている点が特徴だ。

くすぶった人生を送る子供たちの哀愁を強調したコメディと言えば『マイ・ライフ、マイ・ファミリー』や、アレクサンダー・ペインの『ネブラスカ』も忘れがたい。

「親の影響や支配から逃れられる事はできない」と半ば諦めかけている弟バクスターに対し、アニーは積極的に親にあらがおうとする。

アニーは女優となった現在でも、「他人が押し着せようとする役回りを受けざるを得ない」状況にある。それが哀しい。彼女はまだ、自分で自分の人生を歩き出せていない。

彼女のパンクスピリットは、自身が少女時代に作った楽曲「KAP(Kill All Parents)」を聴けばすぐに分かる。

「親を殺せ!親を殺せ!」

「親を殺せば生きられる!」

剣呑この上ない内容だが、本作の主題が端的に言い表された重要な歌詞だ。

ここでいう「親」とは、血縁上の親だけでない。

一方的に刷り込まれてきた価値観、受けてきた教育、背負わされた役割。

自分の意思とは関係なく、自分の心の中に堆積してきた要素すべてを、乗り越えるべき「親」として表現している。

そう考えるのが妥当だろう。

特に年端もいかない子供の場合、親の価値観や言動の影響を「理性的な思考」というフィルターなしで受け取らざるを得ない。

その上、幼少の頃に積み重ねられたそれらの影響は、個人のアイデンティティの軸となりやすく、大人になったからと言って簡単に抜け出せる代物ではない。

アニーとバクスターを支配する現実は、彼らが自覚する以上に過酷だ。

原作者ケヴィン・ウィルソンがこの作品を作った背景にはどんな事情があったのだろう?

ウィルソンにとって、初めての子育ては大変な経験だった。

当時の彼はいつもこんな考えに頭を悩ませていたという。

「子供時代にどう扱われるかで人生が決まる」

「自分のどんな言動が、どんな影響を息子に及ぼすのか、見当もつかない」

「自分の不手際で息子が不幸になったらどうしよう」

「自分はこの子の父親としてふさわしくないのではないか」

父親としての責任感が強いウィルソンは、戒めも込め、ファング家の父ケイレブを反面教師として描いたのだろう。

小さな頃から娘と息子に対して「自分の作品の小道具」という認識しかなかったケイレブは、「こうはなるまい」というウィルソンの思いが詰まった人物に他ならない。

一方でウィルソンは、最後まで頑固一徹で子供の要求に応じないケイレブの姿を描き切ることで「他人を変えようとしても無駄だ」という諦めも同時に提示している。

しかし、その現実を突きつけられた上で、アニーとバクスターは親や環境の影響という宿命から脱却して、

「自分の意思で自分の人生を作ろう」

と決意するのだ。

ここにはウィルソンの、我が子への願いが託されている。

『ファング一家の奇想天外な秘密』という軽い印象を与える邦題が作品のイメージを損なっているが、紛れもなく『ブレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』などと同じ系譜に属する一級品の人間賛歌だ。

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